『怒涛の鯨のタタキ』
2008年6月の日記



6月5日、雨。
アルは虹の橋へ旅立った。

アルが死んだ、というよりも、
アルは良く生きた、という思いが強い。

見事だったぞ、アル!



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2008/6/1(日)
外の空気・・・今日のごはんは?
「この風景、久しぶり〜」

朝7時頃、父がアルを抱えてリビングに連れて行った。リビングの掃き出し窓を開けて、アルが外の空気を楽しめるようにと、寝床の位置を変えていた。

おとといあたりから、アルの様子が静かになってきた。・・・その反動なのかどうか、夜中はいろいろと騒いでうるさい。昨夜は(今朝は?)4時頃、「腹減った」とおやつをねだった。

舌の裏の血袋の色が、少し濃くなった。よく見ると、3ヶ所ほどにキズがある。顔の下に敷いたタオルも、うっすらと黄色にぬれている。おそらく、少しずつ血袋の中身が漏れているのだろう。

「キミはだれだ〜」
・・・最初ぼんやりと相手を見ている様子。次の瞬間、ハッと気付いたようで、「キミってゴールデンレトリーバー? ラブラドールレトリーバーの親戚? ・・・許さんッ!」とでも言ってるかのように、吠えている画像が続いている。アルの高さにあわせて、地面に腹ばいになって挨拶してくれた、とてもやさしいゴールデンのようなのだ。

ついに6月。アルはよくがんばっている。毎日、おいしいものを食べるために。新しい何かに出会うために。




   
2008/6/3(火)
穏やかな小康状態・・・今日のごはんは?
「ま、昼間は昼寝してるからね」

母によると、「夕方頃から、食べる!食べる!って元気になるよ」とのこと。夜昼逆転は老化の証拠だから、老犬パワー全開、ということでそれはそれで正しい。

5月31日、6月1日、6月2日と帰宅が11時になり、両親にはけっこうヒンシュクを買った。「アルが待ってるのに」、と。そう、アルにオシッコをさせるために帰宅したのだ。(たとえ仕事を持ち帰ってでも。)アルは夜中におやつを食べる。今夜も先ほど(1時半)レバーを食べた。アルの舌が動きやすいように、左側を下向きにしてやる。体の向きを変えると、おなかの中がキュルキュルと動く音がする。いつも下になっている右半身は、左側よりやせているように感じる。また、左側を下にすると、舌の裏の左側の、腫れ上がった血袋のキズからの出血なのか、鮮やかな血が顔の下に敷いたタオルに少量ついている。免疫力が落ちているから、こんなところからばい菌が入らねばいいのだが、と、ふと気になる。3日ほど前から、アルの様子が、「静か」になってきた。また一段衰えた、しかし、その衰えにアルは静かに適応している、といった具合だ。アルが苦しまない状態を維持してやりたい。




   
2008/6/4(水)
アメリカ第35代大統領とアルの共通点・・・今日のごはんは?
「お散歩はいいねぇ〜」

午前中、小康状態のアルを病院に連れて行った。体重は10.42キロ。前回の5月30日(金)は10.65キロだったそうだ。その前の火曜日は10.75キロだったから、1週間で330グラム減・・・。

アメリカの大統領予備選で、共和党の候補は英雄として名高いマケイン上院議員だが、彼は72歳の年齢とガン患者としての健康状態が不安要因となっている。アメリカの政治家は国民のためにしっかり働かなければならないから、病弱では「働けないやつ」として国民から選出されない。だから、病気を隠蔽する。第35代大統領のミスター・ケネディは、アジソン病だったそうだ。アルと同じだ。大変だったろうな。

「食べにくいんだよ」

アルの血袋、小さくなったと思っていたが、舌の先よりのほうがふくれている。これじゃぁ食べにくかろう。横になったまま食事をさせるのだが、反対側にこぼれてしまうのだ。顔の下に手の平を当ててやって食べさせる。アル、悔しいねぇ。おとといまでは、上手に食べていたのにね。

左を下にしてごはんを食べさせたら、今度は右を下にしてやる。顔をぬれタオルで拭く。食べこぼしが皮膚に沁みたらかぶれてしまうかもしれないから。

「やっぱりこの寝床が落ち着くよ」

今夜は、夕食後、1時間ほどはリビングにいたのだが、突然、息苦しそうに落ち着かなくなった。「お水?」、「食べる?」、「オシッコ?」と聞いてみたが、そのどれでもないらしい。タライのトイレの上で、抱っこしてやると、ゼィゼィと苦しげだが、嫌がる様子はない。そのまま書斎に連れて行って、しばらく膝の上で抱っこ。母がそんなアルの顔をのぞきこみ、「アルちゃん、元気?」とアホなことを言いながら口元に触ると、アルが「いやだっ!」と噛み付こうとした。驚く母に、「苦しくて、息をするだけで精いっぱいでお母さんの相手する余裕がないんだよ、ごめんね」と、アルの代わりに謝る。それからアルの寝床に寝かせると、呼吸が落ち着き、寝てしまった。寝るのが一番ね。




   
2008/6/5(木)
土砂降りの雨、だけどアルは食べるの・・・今日のごはんは?
「ジーチャ〜ン、シロツメクサがいっぱいだよ」

今日は雨だったから、これは昨日の画像。昨日は、シャッターチャンスを求めて、いろんなところを散歩し、結局、歩行車時代によく出かけた公園に行ったそうだ。いちだんとかわいい顔して写っていること☆

昨夜は、何度かシーツをくわえて引っ張り、何かを要求していた。こういう時は排泄問題。抱っこしてアルのトイレの上で構えるが、このポーズは、近頃のアルにとっては息苦しいらしい。それでもオシッコさせて、再び寝床に横たえると、静かに眠る。犬用のチーズケーキも食べさせた。与え方が悪く、しっかり指に食いつかれたっ! 水もソースボトルで飲ませたが、昨日から飲み込みにくそうな様子。飲み込む力が弱っているのだろうか?

・・・アルの舌の裏の血袋が気になる。綿棒を濡らし、寝ているアルの口元に近づける。血袋からにじんだ血が、アルの歯を汚しているような気がして、なんとかしてやりたかったのだ。アルが気付かない。深く眠っているというより、ちょっとおかしくないか? これって、ぐったりして意識不明な状態? 聴診器を当てると、心臓の拍動は力強い。アルの様子を見ながら、綿棒を何本も使って、そっと歯磨きに成功。途中何度かアルは目をさまし、「何してるのっ!」と綿棒に食いつく。

何度か息苦しそうに目を覚ますアルの体をさすったり、抱っこしたりしながら、私もいつものように3時ごろまでアルの様子を見ていた。朝ごはんはいつものように卵焼き。サイコロに切って食べさせた。ステロイドの錠剤もチーズに仕込んで与えた。濡らしたコットンでアルの目ヤニをそっと拭きとる。おや?目のアイライン上にあるイボが小さくなった? そこで私は出勤。父によると、アルは昼ごはんも缶詰をペロリとたいらげた。フワフワササミジャーキーもずいぶん食べた。犬用の魚肉ソーセージも食べた。お水も飲んだそうだ。

2時ごろからアルが苦しそうだったらしく、こういう時のために準備しておいた『酸素缶』を使ったそうだ。アルは嫌がらず、酸素の方に顔を向けたのだという。職場にいた私の携帯に父から電話があった。「酸素缶はどこに売ってるのか? そうか、東急ハンズか・・・。アルが苦しがってる。どうもイカンように思う」、と。電話を切ってすぐに、まだ午後の診療時間開始前の4時40分だったが、病院に連れて行ってくれたそうだ。「病院に行こうね」と母が言うと、アルの呼吸がスーッと楽になったそうだ。アルはわかっているのだ、病院に行くと楽になることを。穏やかになったアルと、父が土砂降りの雨の中、病院に向かった。病院では、時間前であったが、車を見てわかったのか、すぐに開けてくれてアルを診てくれたそうだ。アルを見た先生は、すぐにアルの口に管を入れたが、「いかんっ」と処置室に運び、別の管を入れ、酸素吸入を始めたそうだ。喉を腫れ上がった血管が圧迫していたので、腫瘤を切開し、液を排出させ、心電図や呼吸モニターにつなぎ、先生と奥さんと看護士さんとで、それはもう真剣に対処してくれたそうだ。まるで海外ドラマの『E・R』のように、アルの心電図がモニターに映し出されたという。心臓マッサージも施してくれて、そばにいた父は、「もうダメなんですね」と先生に言ったという。アルが息を引き取る5分ほど前に。病院についてからのアルは、まったく苦しまなかったそうだ。5時半ごろ、アルは逝った。

息を引き取ってから、タップリのオシッコが流れ出たそうだ。そして、アルを抱き上げた父は、どこをどう抱いたらいいかわからないほどに、ぐにゃぐにゃとするアルの体に驚いたそうだ。車に乗ってからも、またオシッコが流れ出したそうだ。病院に連れて行った父はアルが死ぬとは思いもしなかったし、雨さえ上がれば散歩だ、と思っていたそうだ。もちろん、いつものように送り出した母もアルが死ぬなんて思いもしなかったから、アルが帰ったら一緒に食べようと、焼き芋を焼いていた。リビングのいつもの寝床に新しい白いバスタオルを敷き、アルの目を閉じてやったそうだ。そこでまたオシッコが流れ出し、タオルを換えて、ペットシーツも敷いてやったとのこと。眠っているようにしか見えないアルを眺め、枕元に線香を炊いていてくれた。

私に連絡があったのは6時少し前。職場では不思議と普通に振舞うことができたが、そのことをマネージャーにも言わず(というか、言えず)に、8時の閉店で、「明日、遅刻します、1時ごろには出勤しますので」とだけ伝えて即帰宅。アルの毛はふんわりしていて、まだ暖かく、冷たくなかった。寝ているようにしか見えなかった。おいおい泣きながら、アルの今日の様子を聞いた。両親とアルの話をたくさんした。途中で父がビールを持ってきたので、一緒に飲んだ。「通夜だ!遠慮なく泣いておこう!」、と言うと、両親はもうたっぷり泣いたらしく、「アンタこそしっかり泣きなさい」と。人もこんな風に死ぬんだな、と、父が言う。こんな風に死に立ち会ったのは初めて、と母が言う。アルは良く生きた。

悔いはない。アルは今、まるで眠っているかのように横たわっている。死ぬということは、眠ってしまって、起きないということなのだな。さほど悲しくはないし、寂しくもない。今はアルが目の前にいるから。別れにはこんな雨の日がいいな、と感じた。




   
2008/6/6(金)
☆よかったね、アル☆
「ネーチャ〜ン、走るよ〜☆」

トップページにも使っている画像。ホームページ開設当初の4年前の5月初旬の画像だ。

昨夜は通夜にふさわしく、北枕で寝ているアルの枕元の線香を炊きながら、日記を打ち込んだりして、いつものように3時半頃まで起きていただろうか。アルの頭を触ると、氷のように冷たかった。「こんなのアルじゃないよ・・・ダメだよ、アル」と思わずつぶやき、そんな言葉が自分の口から出たことにショックを受けた。リビングのソファに枕と毛布を持ってきて少し眠って、目が覚めたら4時10分前。線香をまた一本立てていたら、父が「寝付けなくてさ」と、リビングにやってきて、アルの顔を見てまた部屋に上がって行った。次に起きたのは6時。すでに外は明るい。

今日から母は福岡に行くことになっていたので、父とふたりで、アルを隣の町にある愛心院というペット霊園に運んだ。昨日の寝床のままアルを車に乗せた。アルはきれいな毛並みとしっかりした肉付きの体にかわいい顔をしていた。予約時間の9時よりも20分も前に到着したが、時間まで待たされることなく、お経をあげてもらい、アルの火葬に立ち会った。火葬台に乗せられたアルの後ろ姿は、昼寝していた姿と同じだった。アルの骨は小さく、病気だったので白い骨と灰にならず黒く残った部分があり、また頭蓋骨の一部はうっすら緑色だった。長年、薬を服用していたからだ。骨壷に入れてアルを連れて帰った。

帰りに、ヨコイ動物病院に寄った。昨日の分を支払い、先生に礼を言った。死因は、高齢であったということと、病気であったこと。そして、アルの舌の裏の血管が急激に腫れて血腫ができたことからわかるように、アルの喉の血管も腫れ上がり両側から気管を圧迫していたとのこと。呼吸する筋肉も弱っていたので、死の2時間ほど前は呼吸困難に陥ったのだろう。しかし、その前には、ごはんもオヤツもたっぷり食べた。オシッコもウンチもした。昼頃、たまたまやってきた妹の顔も見た。病院に向かう時から、アルは苦しんではいなかったし、病院でも精いっぱいの処置をしてもらい、苦しまなかった。アルはよく生きた。本当によく生きた。よかったね、アル。

ほんとによかったね、アル。



月並みなお悔やみの言葉は要らない。同情の言葉も、叱咤激励の言葉もいらない。非難の言葉も聞きたくない。気分転換や生き方のアドバイスもいらない。私は過去に愛犬をなくした人にかけた言葉を恥じる。私がすべきだったのは、その人を見守ることだった。その人の言葉に耳を傾けることだった。私がしたことは、その人のためを思ってではなく、自己満足にすぎなかったのだ。愛するものを失ったら悲しいのは正常な心のあり方なのだから、深く共感する感受性を持つべきだった。そして必ず立ち直り、また愛することができるようになるのだから、その人を強く信じて待つべきだった。

私はアルに手紙を書こう。アルのアルバムを作ろう。アルのことをたくさん話そう。今は空っぽの私の心に、いつか、きっと近いうちに、アルが住んでくれる。(メル友さんが言うように。)そうしてアルがしっかりと暖かい思い出になるのだろう。




   
2008/6/7(土)
アルはホントにかわいかったんだよね
「アル、いい子、いい子。おやすみね、また明日」

・・・これは13年前の3月にアルがうちの子になって以来、毎晩口にしていた言葉。夕食後、いつものこの言葉を口にしながら、ちょっとオパール色の骨壷をなでなで。

昨日の夜、「そうだ、アルのアルバムを作ろう!」と思い立った。ついでに、1年半ほど前にプリントアウトした写真を引っ張り出し、引き出しにいくつも入っていた写真立てに入れて飾った。書斎にはすでに5枚ほど、アルの写真を壁に貼っているが、ドライブ好きなアルが、助手席に座って得意顔している写真を写真立てに入れて置いた。父に抱っこされて嬉しそうなアルの画像は父の部屋に、元気いっぱいに笑っている写真は骨壷の側に置いた。笑っているアルの写真を見ると、私もニタ〜ァと笑って幸せ気分。「アル、かわいいねぇ☆」と、一日に何度も口にしていたこの言葉が自然に出てくる。



   
2008/6/8(日)
アルがくれた時間
「アル、きれいきれいしようか?」

・・・こう言って、毎日朝晩ブラッシングしていたものだ。この画像は、13年前の6月の写真。アルの初めてのシャンプー風景だ。本で読んだとおりに、耳に脱脂綿を詰めている。・・・なんと過保護な。しかし、この耳栓は、アルがブルブルッと身を震わせたら簡単に吹っ飛んでしまった。となりに写っているタライが、後年、アルのトイレに変身した。

アルのシャンプーは2ヶ月に一度くらいしかしなかった。10歳過ぎてからは、病気の時が多くなったので、シャンプーのチャンスをのがし、年に1〜2度くらいしかしなかった。それでも、ドッグフードを選べば、体臭も消えるし、脂っぽさも気にならなくなる。フードはできるだけ小袋入りを求め、酸化してムッとする匂いが出ないうちに使い切ってしまうのがいい。人間用の食材で、味付けなしで調理するのが、犬にとっては一番いいと思う。それが自然だろう。

今日、アルがくれた時間には、昔のアルバムを眺めてニタニタ、アルがいてよかったな、幸せだったな、と再確認した。




   
2008/6/9(月)/
アルについて言えなかったこと
「アル、・・・意外と背が高いねぇ」

これは12年前の、アルが1歳半ごろの写真。テレビにバーニーズマウンテンドッグらしき黒っぽい大型犬が写った途端、アルはガウガウとテレビに向かっていった。・・・かわいい。

アルの日記、6月5日の日記は、パソコンに打ち込んだものの更新できなかった。6月6日の日記も同様に更新できなかった。日付がかわって6月7日になり、さらに数時間がたって、2日分の日記を更新する決心がついた。妹にも教えなかった。おまけに、トップページには、6月5日の日記の前半部分を載せて、アルの最期がすぐにはわからないようにした。だから、妹が知ったのは6月7日の夕方だ。私が平静に対応できるとは思えなかったので・・・。また、あえて話題にしたくなかったので・・・。相手も対応に困ると思ったので。

実際のところは、膨大なデジカメ画像からアルのアルバムを作ろう、と思った時点で、アルがすんなり心の中に入ってきてくれた気がする。アルを失った悲しみよりも、アルと暮らした日々の喜びの方がはるかに大きく、アルがくれた幸せが私や家族を包んでいるような気がする。




   
2008/6/10(火)
アルのおうち
「アル、そこがアンタのハウスだからねっ」

これは、13年前の5月1日。アルが生後6ヶ月寸前の頃。耳ばかりが大きくて、目も若犬らしくちょっと釣りあがっていて、とってもかわいいこと。

初めての犬を飼うにあたって、私は2年前から準備した。何十冊も本を読み、犬の飼育方法についての知識を集めた。ブリーダーさんからも話を聞いて、アドバイスに忠実にしたがい、よき飼い主になろうとした。「仔犬は眠るのが仕事だから、飼い主の都合で犬に遊んでもらおうとして犬の仕事をじゃましないこと」、「犬は群れの動物だから、犬を群れ(家族)のリーダーにしてはいけない。犬の好き勝手に家の中をうろつかせないこと」、「遊ぶ時間だけ、犬をケージから出してやり、力いっぱい遊んでやること」・・・などなど。もちろん、躾けが完了する最初の数週間の間の掟である。

・・・で、それがうまくいったかって? こんな柵なんか、2日目にはピョンッと飛び越えてしまいましたとも。そして、ハウスと柵のあったリビングのドアの前で、朝、私を出迎えてくれました。キラキラ笑顔で「ネーチャン、オハヨウッ!」、と。




   
2008/6/11(水)
アルの初めてのお散歩
「オサンポ? 何それ?」
「・・・緊張〜」


1995年3月27日、13年前の、お散歩に出かける前の写真。アル、生後4ヶ月と20日ほど。真新しい胴輪とリードをつけて、緊張してお座りポーズのアル。体重はまだ5キロ前後、子どもっぽい顔立ちだ。

3月11日(土)にうちに来て、月曜日にはストレスで血便、さっそくヨコイ動物病院にかかったアルであった。しばらくは家の中と敷地内だけで環境に慣らし、お彼岸に墓参りに連れて行ったのが初めての外出。それから少しずつ近所を散歩に連れ出した。朝は5時から散歩に出かけたのをなつかしく思い出す。張り切って歩き回るワンコではなく、階段を見ると、それが数段であっても必ず上がりたがって、そこで座り込んであたりを見回すのだ。「あら、アルちゃん、休憩中なの?」と、お散歩嫌いのアルちゃん、として、初めから有名になってしまった。散歩に出かけても、はじめの頃は、オシッコは家の中のペットシーツの上でしかしなかった。5月頃に外でのオシッコを覚えたら、それからは頑として家の中ではしなくなった。




   
2008/6/12(木)
アルの乳歯
「つぶれてる?」
「これでいいんだよ」


この画像は、13年前の3月21日。当時のメモ帳を見ると、朝6時にアルの様子を見たらしく、「オシッコ1ヶ所はペットシーツに命中、もう1ヶ所は失敗」と書いている。それから散歩に出かけたようで、「6時45分:銀行でオシッコ」とあるから、うちのすぐ近くの銀行の駐車場で用を足したのだろう。・・・ごめんなさいっ、銀行さん。

メモ帳の3月18日の欄に、アルの4ミリほどの小さな乳歯を貼り付けている。「他にも3本、抜けた穴あり」との記述もあり。最後まで残っていたのは犬歯で、4月の末から5月の始めに抜けている。・・・ということは、犬の歯の生え変わりは、生後6ヶ月までに完了する、ということだろうか。歯が生え変わり始めた生後4〜5ヶ月頃は、アルはなんでもかじっていた。ボールはあっという間に穴をあけて、くわえやすくしてしまったし、ハウスの入り口はガジガジにかんでしまったし、部屋のドアの角もかじってくれていた。新聞もダンボールも楽しそうに引き裂いていたっけね。




   
2008/6/13(金)
「お手」の意味
「簡単なゲームだね」

13年前の5月28日。アルは「お手」を学習中。同時に、まわりの人間を喜ばせている。

お手、は、犬にとって、自分の意思を伝える方法でもあるらしい。前足を上げるという動作は、目上の者に従うといった意味合いもあるのだとか。飼い主の手とコンタクトを取ることもできるし、犬にとっては、簡単で覚えておいて損はない動作である。

アルは、ドライフードひと粒ずつで、いろいろな芸を覚えた。「お手」、「お代わり」、「お座り」、「伏せ」、「回って」、「吠えて」・・・など。アルは真剣に飼い主の表情に注目し、芸(というかコミュニケーションの道具)を覚えていったのだ。




   
2008/6/15(日)
悲しくない理由
「ユミチャンって・・・」
「・・・ワイルドに遊んでくれるんだね」


13年前の4月の画像。妹が、アルと遊んでくれている。「ホレ、右上げて、左上げて、ア、ホレホレ、バンザーーイ、アル、いい子だね〜」・・・てな感じ。

私は、アルと一緒に暮らせることがまるで夢のようで、いつまでもその幸せに慣れなかった。2年ぐらい経った頃、ようやく、アルといるのが当然で、アルに対して遠慮なく接することができるようになった気がする。アルと暮らすことで、私はまともな人としての常識や感覚を身に着けていったような気がしてならない。


「写真でしょ? ハイ、どうぞ」


これも13年前の4月の画像。この写真ができた時、私は叫んだね。「アル、かわいいーーーーー!」、と。
アルバムに残したコメントは、「カメラを向けるとポーズを取る。・・・かわいいヤツだぜ」、である。この「ヤツだぜ」というところに、当時の私が、アルのあまりのかわいさに照れまくっている様子が現れているではないか。

ホントに、なんてかわいいワンコなのでしょうか。

こんな写真がたくさんあって、アルと惜しみなく付き合ってきた記憶もあって、何もかもまるで神様から与えられた至福のように感じられる。だから、悲しくないんだな、きっと。




   
2008/6/16(月)
困難の切り抜け方
「見ると我慢できなくなるから・・・」
「見ないことにしてるの・・・、大好きなリンゴ」


13年前の6月6日、アルは「待て」を学習していた。リンゴのかけらを手のひらにのせて、母が「待て」とアルに試練の時を与えていた模様。アルは、リンゴを見ると我慢できないので、見ないことにして、耐えていたようだ。・・・アル、賢いっ。

母とアルはよくお話していた・・・というか、話しかける母を、アルはじっと見ていたものだ。それを母は、「アルはオバーチャンのお話を聞くのが好きだもんね、アルは賢いもんね」と表現していた。今月いっぱい身内のことで超多忙で、今までのようにボーッとする時間がなくなってしまった母は、昨夜、「アルとお話しするヒマもないよ」と、アルの写真に話しかけていた。

多忙な時、困難な時こそ、自分を取り戻すために、ボーッとする時間(瞑想タイム?)が必要だ。いろいろなことをちょっと置いといて、深呼吸する時間を作ろう。




   
2008/6/17(火)
元気いっぱい
「はいっ! そーですっ! アタシがアルですっ!」

ピッタリ13年前の今日の写真。これは、朝の5時台の写真だ。後ろに写っているのは、アルの大の仲良しワンコだったチェルシー。彼女はアルより3ヶ月ほど年下だったが、ハスキーとシェルティーのミックスなので、非常に体格がよく、美しい毛色とやさしい顔立ちのワンコだった。このふたり(2匹?)は、毎朝、近所の体育館の時計塔の下の芝生の上で、取っ組み合いして遊んでいた。彼女と今頃、楽しく遊んでいることだろう。

アルの目も鼻も、ツヤツヤだねぇ。アル、かわいいねぇ。

昨夜は帰宅が遅くなり、(3時頃に昼食を取ったきりで)腹ペコだったので、しっかりと夕食を取ったのが深夜12時。ポークソテー、キャベツの千切りたっぷり、トマト添え、卵かけごはん。うまかった。久しぶりにたっぷり食べた気がした。元気になった気がした。しかし、・・・今朝は胃が重かった。これって、年のせい?




   
2008/6/19(木)
何してるの?
「ジーチャン、何してるの?」

13年前の5月2日の画像。父の膝に立ちかかり、父の手元を見ているかのような様子。この時、父は「この字は、アル、と読むんだよ」とアルに話しかけていた。・・・ほのぼの風景だな。

2週間前の今日は、ティッシュの箱をかかえて、アルの枕元に座り込み、おいおい泣いていたっけねぇ。しかし、よく言われるような「魂を持っていかれたような」とか、「身を引き裂かれそうな」といった悲しみではなかった。その後、驚くほど早く自然にアルがいない生活に慣れていった。こんな私を、薄情と思う人もいるかもしれない。

経験や関係の中には、思い出になるものとなれないものがあるような気がする。不完全燃焼だと思い出になれないのではないか? それは、悔いや憎しみや自己憐憫に変身するのかも・・・などと、うまく表現できないことを時たま〜に考えつつ、「つまりは、こんな体験をさせてくれたのは、アル、ってことだよな」と、「さすがアルだねぇ」と感心しているのだ。




   
2008/6/20(金)
お友だち
「ここ、何かありそうだよ」

13年前の6月17日、チェルシーとの朝のひとコマ。時計塔の下の芝生(というか、シロツメクサ中心の雑草におおわれていたが)で、走り回って取っ組み合いして遊んだ後、ふたりして何やら真剣に匂いをかいでいた。この時、アルは7ヶ月。チェルシーはまだ4ヶ月。

伯母の引越し作業も終了したそうだ。あと10日間を伯母はうちで過ごすのだが、何かを忘れているようで心残りだ、と言っていた。今日は、うちでお茶をしていて、母がなんとなく、アルのことを「うちのアルは賢くて、器量よしで」などと話し始め、「今は、虹の里で走り回って遊んでいるんだって。時々、『あれ?アタシは誰かを待ってるんだっけ?』って思いながらお友達と遊んでいるらしいよ。そして、ある時、『あっ☆アタシはこの人を待っていたんだ!』って、飼い主がやってきた時に気付いて、大喜びするんだって。お姉ちゃん(伯母は母の姉である)はトムが待ってるね」と言ったら、伯母の顔がパァッと明るくなり、「トムが待ってるのね!これから先が楽しみだ、怖くないよ」と喜んだそうだ。(虹の橋を、虹の里、と、記憶違いしているのは母のご愛嬌、ということで。)そして、伯母は忘れていたことを思い出したそうだ。庭の隅に埋めたトムのお骨、その上の土でもいいから少し持って行きたいのだ、と。狆としては大柄だったトムは、なんと19年生きた。トムが逝って20年以上経つ。犬ってすごい。死んでなお、老いた飼い主に勇気と喜びを与えるのだから。




   
2008/6/22(日)/
まじめな顔して
「これが、雑誌・・・というものなのかぁ」

13年前の4月の写真。まじめな顔して、床に放置していた雑誌のページを破いているところである。アルは、紙を破くのが好きだった。ちょっとめくれているところがあると、上手にゆっくりとピリリィィとはがしていたものだった。雨の日のストレス解消の遊び方として、よく、新聞紙を引っ張りっこしながら破らせて遊ばせた。

帰宅後、遅い夕食を取り、リビングのソファに座る。うちには仏壇がないので、アルの写真と骨壷はとりあえずリビングの飾り棚にのせて、そのそばに線香立てを置いている。夕食後、線香を1本焚いて、それが燃え尽きるまでポケ〜としている。「ヨコイ動物病院の先生に、お礼に行かなくちゃねぇ」とか、「アルの写真を使ったウチワでも作って、無理やり先生のところにおいてこようか」などと、元気いっぱいの笑顔のアルの写真をながめているのだ。




   
2008/6/23(月)/
オリの中
「納得できない、こんなの・・・」

13年前の5月7日の写真。庭に、『愛犬の友』で見て注文した1メートル四方の鉄製の柵を6枚組み合わせて、1メートル×2メートルのスペースを作り、昼間のアルの戸外の居場所にしていた。アルには広すぎるスペースだった。その中のアルは、いつも隅っこに座っていて、玄関やリビングの窓など人が出てきそうな方向ばかりをながめていた・・・。・・・というわけで、もちろん、「こんなのに入れるのはかわいそうだ」と、ひと月もしないうちに、柵は分解しお蔵入り。

犬は群れの動物だから、群れの中においてやるのがいいと思う。できれば家の中で、それが無理なら、家族の顔が確認できる環境で。番犬としての役割だけを与えて放置したり無視したりするような、群れのリーダーとしての責務(つまり面倒を見ること、愛すること)を果たすことのできない飼い主は、犬を飼うべきではない。セキュリティー会社と警備契約をすればいいのだ。(犬バカとでもなんでも言ってもらっても構わんっ。)




   
2008/6/25(水)
お友だちになる方法
「アタシ、ワカコちゃんのことが大好きだよ」

13年前の7月8日の写真。当時3歳の下の姪っ子は、アルを怖がっていた。アルの歯が怖かったのだろう。しかし、アルは彼女と仲良くなりたかった。彼女になでてもらおうと、「伏せ」してみたり、彼女の側でじっと見つめたり。彼女が床にコロンと転がった時に、アルもコロンと仰向けになって、おなかを見せて、無抵抗の服従のポーズを見せた。それでも少し怖がる彼女を、彼女の母親である妹が「ホラ、アルをなでてあげなさい」と後ろから押しやっている。その後、彼女は、アルを気遣ってくれるやさしい女の子に成長した。

今日は、ヨコイ動物病院の先生に、お菓子を持って挨拶に行く予定だった。私はどうしても家をあけられずに、父に行ってもらった。先生は、父と私がガックリして立ち直れないのではないか、と気にしていたのだそうだ。「2日ほどはアルがいないんだ、という気持ちでしたが、できることは精いっぱいやって悔いがなかったせいか、想像以上に早くアルの死を受け入れることができました」と父が言うと、先生も同感だったらしい。収益のために、検査漬け、薬漬けにするのではなく、飼い主の要望も聞いてくれて、何よりも犬の体に負担がないようにと治療方法を考えてくれるいい先生だ、と今日もまた思った。




   
2008/6/26(木)
楽しくて楽しくて
「なんかこう・・・ふつふつと」
「楽しい気分が沸き起こるんだ」


生きてるって楽しいよなぁ、と、感じているかのようなアルの顔。13年前の6月24日の写真。手前に放り出しているのは、牛皮のガム。ガムをあっちを噛み、こっちを舐めたりして、何日かかけて食べてしまう。最後の5センチほどは、ふにゃふにゃにやわらかくしておいてから、ごっくんと一気に飲み込んでしまうのだ。喉に詰まらせるんじゃないかと心配したものだが、「この喉越しがいいんだヨ」とばかりに得意げな顔をしていた。

それにしても、アル・・・かわいい。たまらんっ。

「なにかいいことないかな〜」という(つまらない)CMを見る。何かいいこと、なんてのが道に落ちてたり、人がくれたりするわけないだろっ!と思わずツッコミ入れるのは年を取った証明かもしれないが・・・。やりたいこともやらなければならないこともあって、早起きして取り組まなければ時間がないのだが、疲れてしまってどうにも起きられない、というのもまた・・・年を取った証明かな。




   
2008/6/28(土)/
アタシの居場所
「ここ、気に入ってるの」

なるほど、体にぴったりサイズ。13年前の9月始めの写真。9月に入ってもまだ真夏の暑さで、おまけにアルは8月いっぱいヒートシーズンで、食欲不振。レンコンだったか、何が入っていた箱だったのか忘れたが、この細長いダンボールの箱を気に入ったようで、アルは、何度も出たり入ったり、かじったりしてリラックスしていた。犬は、ハウスとしては狭い場所を好む。落ち着くのだろう。

家は落ち着くためのもの、身の安全を守るためのもの、と考えれば、人間はずいぶんと原則からずれた生き方をして、神経をすり減らしているのかもしれないなぁ。




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