『怒涛の鯨のタタキ』
2008年7月の日記



アルはいないが、
苦しむことも、悲しむこともなく、日々は過ぎる。

勇敢に真剣に生きてくれたアルのおかげで。


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2008/7/2(水)/
何かをしなくちゃ
「アタシはここで番犬するよ」

13年前の8月。アルは生後9ヶ月。改装前の我が家は、リビングから銀行の駐車場が見渡せた。アルはこうして、銀行の番犬をしていた(?)ものだ。1歳2ヶ月までのアルは、「吠えないねぇ」とご近所さんにも言われていたほどのおっとりしたワンコだった。1歳2ヶ月頃に、犬は精神的にも大人になるのかな?

一日のうち何時間か、アルがくれた時間がある。夜中は、まるごと7時間、朝も3時間、帰宅後も2時間ほど、「ネーチャン、好きに使っていいよ」と、アルがくれた時間。アルがくれた大事な時間を、私はどう使ってきたか? ただただ恥じ入るばかり・・・。明日で4週間。まずは部屋の掃除をして、足元から見直そう。




   
2008/7/6(日)/
月の満ち欠け
「・・・つかまっちゃったよ」

12年と半年前の1月5日の写真。1歳2ヶ月のアルが、母に抱っこしてもらって、のびのびとくつろいでいる。アルが抱っこされても嫌がらないのは、寒い時期だけ。暑くなると、とてもこうはいかない。暑い時期は、ひんやり冷たい玄関や、冷房の風が直接あたらない場所のフローリングの床にぺったりくっついて昼寝をしていたものだった。アル、自然体だったね。

我が家の台所にかかっているカレンダーは、月の満ち欠けを表示している。アルの死の前日の6月4日は、新月。月の満ち欠けは2週間で一区切りだから、4週間後の7月3日も新月だった。その日、当ホームページを訪問してくれていた人の犬のミルクちゃん(アルより1歳下)も虹の橋に旅立ったそうだ。満月を含めその前後2〜3日は、重大事件が起きる、と、聞いたことがあるが、新月を含めた前後数日間は、弱った犬(を含め生き物)にとっては用心すべき日々なのかもしれないな。




   
2008/7/8(火)/
アルの癖、私の癖
「これがアタシの『待て』のポーズ」

13年前の5月。母がアルに「待て」と命じている写真。多分、母の手にはクッキーがあるのだろう。誘惑から必死に目を背ける(?)アル。アル、偉いぞっ。

今朝は、雷ゴロゴロしていた。「遠くでゴロゴロ言ってるねぇ」と母に言ったとたん、ドッシャーン!と爆音。アルがいたならハウスの奥に隠れたに違いない。アルは雷や打ち上げ花火が嫌いだった。かわいそうなほどに、ガチガチに固まっていた。一方、台風の時は窓から外を見たがった。

ドアを閉める時、バタンと音がしないように、そっと手を添えたり、数センチ開けておく癖がある。アルが音に驚かないように、アルが鼻先でドアを開けて入ってこれるように、と。物を取り落として大きな音を立てた時、「あっ、アルが驚いてしまう」・・・と、焦る必要はもうないんだよね。




   
2008/7/9(水)/
気分転換、ストレス解消法
「オヤツで気分転換?」

13年前の夏。最初のヒートの前に不妊手術を受けさせようかと迷っていたら、ヒートが来てしまった。大型犬はもう少しあとだが、犬は8ヶ月で成熟するようだ。ちょうど猛暑の8月。アルはかわいそうなほどにバテていた。こんなパンツなんか二日目からはすぐにエイヤッとむしりとってしまった。それも当然なので、アルの好きにさせておいた。我々が、雑巾を持ってちょいちょいと床を拭けばすむことだし。

私は気分転換がヘタらしい。明和治療院の先生がいつも「ストレス解消しなくちゃね」とおっしゃる。みぞおちの下、おへその上あたりがガチガチに固くなってしこりになっているらしい。私よりも父のほうがストレス溜まっていそうですよ、と言ったら、「お父さんのこの部分は柔らかいよ。上手にストレス解消なさっているんだよ」、と。父に聞くと、「適量の晩酌だな」とのこと。私が毎晩、晩酌をする?・・・想像するに恐ろしい光景だ・・・。

今日は、英会話のクラスの夏休み突入前のパーティだった。東急ホテルのフレンチレストラン、ロワール。栄駅から会場に向かっていたら、誰かに名前を呼ばれた。昼食を終えて会社へ戻る途中のオークラ君ではないか。高1の時のクラスメートである。彼なんかも上手にストレス解消してるんだろうな。彼は立派な大人だからな。




   
2008/7/12(土)/
虹の橋という所
「腹巻だーーーい!」

1995年11月5日の写真。アルが11月8日で1歳になる直前に、不妊手術を受けさせた。手術は水曜日だった。朝からごはんも水も与えず、ヨコイ動物病院に連れて行って先生に預けた。先生に抱っこされて、アルはキョトンとした顔だった。翌日退院。おなかには、針金(?)で留めた手術跡。おなかの毛は毛刈りされてなんだか寒そうだったし、ばい菌が入るんじゃないかと気になって、抜糸まではタオルに紐を縫い付けたものを装着させた。この腹巻については、むしり取ることもなく、気にせずに過ごしていたようだ。

アルは長生きしたから、虹の橋では、サンタ君、ルーク君、チェルシー、ゴローちゃん、小梅ちゃんなど近所の犬たちが出迎えてくれていたはずだ。そして、ネットで知り合った犬たちともそこで会ったことだろう。アルのあとから来た子たちには、アルは先輩ぶっていろんなところを案内しているかもしれないな。太郎君、ミルクちゃん、嵐君、みんな、アルと一緒に走ってね。




   
2008/7/13(日)/
夜の散歩が犬には親切かも
「全快祝いで穴掘りしてるんだよーーーっ!」

1995年11月10日の写真。11月1日に手術をして、多分この日に抜糸したのだろう。おなかの腹巻もはずして、アルが元気いっぱいに穴掘りしている。この日ばかりは、「よしよし、思い切りやっていいぞ」とアルを止めなかったことを思い出す。この数年後には、家の改装をして、庭もすっかりレンガタイル張りにしてしまい、アルが穴掘りを楽しめるような地面をつぶしてしまった。アルもさぞや環境の変化に戸惑ったことだろうな。

今日は35度ほどもあったらしい。朝は、さほど暑くならないうちに出勤し、日中は冷房の効いた店内で仕事、夜はようやく涼しくなり始める頃に帰宅する毎日。今夜は、散歩中のトモちゃんを見かけた。アルより半年ほど年下の13歳。彼女が私をじっと見る。「アンタ、アルちゃんのネーチャン?」てな顔をして。




   
2008/7/14(月)
甘えっこ
「オバ〜チャ〜〜ン☆」

1995年11月28日の写真。いったいどうなってるの、アルの胴体・・・と思うほどに長いこと。さすが正統派コーギー。母が例によっておやつを持っていて、アルに「伏せ」あるいは「待て」を指示しているところである。「早くちょうだいよ〜」と目で訴えていそうな後ろ姿だ。こんな格好の甘ったれワンコに見つめられては、飼い主はたまりませんわ。あ〜、シアワセ。

今日もまた厳しい暑さだったようだ。帰宅後、アルにも冷たい水を供えた。こんなに厳しい暑さを経験せずにすんで、アル、ラッキーだったね。




   
2008/7/15(火)
ひとりじゃないよ
「ネーチャンがいるし、みんなもいるし・・・」

・・・それに、後ろの壁にはアルの影も映ってるね。1995年の12月の画像。近所の銀行の駐車場で、銀行主催の餅つき大会があった日だ。この日、何度もつきたての餅を食べていた近所の女の人、もう何年も姿を見ていないなぁ・・・なんてことも思い出した。

犬を飼い始めた時は、まさかアルが歩けなくなるなんて思いもしなかったし、犬の最期をこんなふうに迎えるなんて考えもしなかった。当時は、インターネットなどというものがこれほど広まるとは想像もできなかったし、こうしてアルのことを知ってもらうようになるとはこれまた予想外のことだった。人はひとりじゃなくて、ひとりでは生きられなくて、いろいろな目にも会うようになっていて、いろいろなことがあってこそ人が生きてるってことなんだろうな、と思うようになったのも、アルのおかげ、かな。




   
2008/7/16(水)/
犬の受難
「高いところから、失礼します」

アル、得意気。1996年1月1日の写真。当時は父もまだ仕事をしていたから、冬や夏の長期(1週間から10日程度だったが)休暇は、みんなと一緒にいられるので、アルは大喜びだった。最初はマニュアル通りに厳格だった躾けも、少しずつ甘くなって、「臨機応変」というか、「完璧なんてことはありえないんだし」ということで、少しずつアルと気楽に接するようになっていった。

小さなチワワが「犬が怖かったから」という男に腹を蹴り上げられて死んだ。そんなことが殺しの理由であるはずがない。そんな行為は、いずれ人殺しにエスカレートするのだ。人間が弱くなりすぎて、狂気を内に隠しきれない時代がやってきているのだ。犬たちよ、そんな狂気を察知したら、飼い主なんてほっといていいから逃げろ!




   
2008/7/17(木)
となりのキキちゃんの思い出
「ジーチャン、遊ぼ〜〜よ〜」

1996年2月の写真。陽だまりで父とアルが遊んでいる。アルはよくこうやってコロンとおなかを見せた。散歩中も、アルをニコニコとなでてくれる人には、コロンとおなかを見せていた。

アルがうちの子になる前は、この陽だまりは、アルより4歳ちょっと年上の隣のネコのキキちゃんのお気に入りの場所だった。キキちゃんは、ひょいとうちに入り込んで2階に上がったことがある。まさかキキちゃんが入ってきたと気付かなかった我々が玄関を閉め、冬だったのであちこちの戸も閉めてしまい、キキちゃんを閉じ込めてしまったことがある。深夜3時頃、寒さに耐え切れなかったキキちゃんは、母が寝ているベッドに飛び乗った。母の部屋に入り込んでいたのだ。「この感触、ネズミッッ?」と飛び起きた母、キキちゃんを見つけてビックリ。そういえば、夕方、お隣のおばあちゃんが「キキが帰ってこない」と心配していたのを思い出し、キキちゃんを抱いて、深夜だったがお隣に連れて行ったそうだ。「動物の温かさに初めて触れたのよ」と言っていた。

そんなキキちゃん、つい先日、虹の橋へ旅立ったのだそうだ。2日ほど家を留守にして、フラリと帰ってきて、それから9日間寝たきりになり、眠るように逝ってしまったのだそうだ。キキちゃんもよく生きたんだね。




   
2008/7/19(土)
写真、カメラ
「視線を微妙にはずすの」

1996年4月18日の写真。この構図から察するに、アルの散歩の前か後に、私が「写真、撮るよ〜」と声をかけて、地面に腹ばいになってアルの写真を撮ったのだろう。アルもよくしたもので、シャッターが落ちる音がするまでは、ジッとしてポーズを取っていてくれたものだった。

父はカメラが好きで、一眼レフのカメラなどを欲しがる。「ライカのコンパクトなデジカメがあるのだが・・・、買っていいか?」と、買う前に私に聞いてくる。私も機械モノは好きで、使いこなせないけれど、デザインに惚れて欲しがるタイプである。カメラがあっても、被写体がいないのだが・・・。被写体は犬に限るねぇ。




   
2008/7/22(火)
アル、堂々
「ここがアタシの場所だから」

1996年2月19日の写真。アルが1歳と3ヶ月の頃。当時のリビング(現在は車庫)のアルの定位置。ここから外をながめて、世間を勉強していた。

今日から4日間の夏休み。この業界、盆休みというのはないらしい。人が遊ぶ時に働く業界である。この休み中に、部屋の大掃除をしておこう。2階に私の部屋があったが、3年前からアルの部屋に同居するようになり、母が私の寝室を使うようになった。アルはいなくなったが、2階にはもう戻れない。本棚2つとデスク2つ、飾り棚2つ、窓2ヶ所に出入り口も2ヶ所のこの部屋は住むための造りになっていないようで、どうもピンとこない。しかし、戻る部屋がないということは、「ネーチャン、この部屋を使っていいんだよ」とアルが言っているということなのだろうから、・・・アル、この部屋を使わせてもらうね。




   
2008/7/24(木)
犬連れ旅行
「お外で食べるソフトクリームはたっぷりでうまいねっ」

2002年のゴールデンウィーク、ひるがの高原サービスエリアでの写真。アルが父からソフトクリームをもらっているところ。アルが7歳半の頃。

旅行計画を丁寧に立てるタイプの人間は我が家にはひとりもいない。父は計画も立てずにいきなり車で出かけようとするタイプだし、母はもちろん何もしないし、私は往復と宿の手配だけはするが細かいプランは立てない。かなりの方向音痴なので、予定通りに動けないのだ。この時も、ゴールデンウィーク直前に、「アルと一緒に泊りがけの旅行に行こう!」と突然思い立ち、ネットで検索し、ペットも泊まれるところを見つけた。それが乗鞍スカイラインの手前にある『弁天荘』だった。

うちを出て高速に乗って、美濃あたりまで行ってから、誰もまともに財布を持っていないのに気付いてうちに取りに戻ったのを思い出す。(3人の財布には小銭レベルのお金は入っていたのだが・・・)

「同じ平面で寝るなんて・・・戸惑って寝不足しちゃったよ」

ひるがの高原サービスエリアで休憩。ソフトクリームをいつもより多めにもらった。助手席に(シートベルトなしで)乗っていたアルは、回りの木々が濃く森が深くなると、興味深げに外を見ていた。弁天荘では、畳の部屋で食事。いつもひとりで寝ていたアルは、同じ部屋にみんなが寝ているのが「実に不思議だ」という様子で、我々の枕元に座り、なかなか眠ろうとしなかった。翌日は天気が下り坂で、雨の中、山を下る車の中で、アルは爆睡。

昨日、23日(水)に乗鞍スカイラインへの日帰りバスツアーに参加し、途中、アルと泊まった弁天荘の前を通った。アルが逝ってちょうど7週間が経った日に、この道を通ったのも「縁だねぇ」と思った。




   
2008/7/26(土)
猛暑日の連続
「水でゴシゴシだよ・・・」
「真冬はお湯で洗ってもらうの」


1996年4月16日の写真。お散歩の後の体の手入れ。オレンジエックスの薄め液で、全身をゴシゴシ。そのあとブラッシング。できるだけシャンプーをしないために、毎日の手入れは欠かせない。父はアルの足を洗面器の水にチャポンと浸けてゴシゴシモミモミ洗っていた。そのあときれいに拭かないと、犬の足の裏はかえって蒸れてしまうのだ・・・。私はそこまで徹底しないので、アルの足の裏に関しては、たいてい絞ったタオルで拭く程度だった。

今日の暑さは徹底していた。36度とか37度と言っていたが、それは回りを芝生で囲まれた観測地点の温度だろう。コンクリートジャングルの街中で測ると軽く45度くらいにはなっているはずだ。散歩する犬は、ヤケドしそうなほどに熱い道路を歩いているのだ。気の毒だ。




   
2008/7/28(月)/+雷
雷ゴロゴロ
「急ブレーキ〜!」
「ユミちゃんが転んだよ」


1996年5月26日の写真。前後の状況は忘れたのだが、この時、つむじ風のように走り抜けるアルの勢いに、妹はキャッと声を上げて後ろに転がってしまった。写真には、その時のアルの勢いが写っていないなぁ・・・。

こんなアルの苦手なものは、雷。雷の時は、アルは、ハウスの奥深くに隠れていたものだった。今日は雷ゴロゴロ、稲妻ピカピカの日だった。昨夜から猛烈な暑さは消えて、今日は午後から急激に雷雨。雨の量はたいしたことはなかったが、帰宅後、神戸や金沢で猛烈な豪雨、また各地で突風による被害が起きたと知った。通り魔事件も頻発するし、自然災害も増えてきたし、危険がいっぱいだ。




   
2008/7/30(水)
選ぶということは、捨てるということ
「ヒヅメ、かじってたんだけど・・・」
「・・・腹減ったよ」


1996年6月1日の写真。アルの鼻先に転がっているのは、ヒヅメ。いわばスルメのような、かめばかむほど美味いオヤツ。アルはこれが大好きだったが、1歳半頃、つまりこの画像の少し後の頃だったと思うが、仰向けになって、短い前足でヒヅメを抱え込んでかじっていて、大きな奥歯(肉を切り裂くための、裂肉歯)が欠けてしまった。自然界では、骨や石で歯が欠けることもあるというが、まさかアルがそんな目に遭うなんて・・・。

アルのアルバムを作ろう!と思い立って、まずは安直にホームページの製本化を考えた。1冊から製本するサービスがあるらしい。2004年5月〜2008年6月の日記の製本化を見積もってもらったら、2000ページを超えるという。1冊200ページなので、なんと10冊の大作〜。8万円以上〜。・・・あ〜こりゃこりゃ。そこで「写真整活」という手作りキットをひとつ買ってきた。本文用紙は20枚、つまり40ページ。本文は自分でアレンジしなければならない。これまた・・・あ〜こりゃこりゃ。本文の取捨選択の作業が待っている。たくさん捨てることになるんだろうな。




   
2008/7/31(木)
花と虫
「花より団子さ〜」

1996年6月3日の写真。アルがまるで花瓶の花を愛でているかのようだが、実際には・・・何を見ていたんだろう?

アルはよく植木鉢に顔を突っ込んでいた。腐葉土の中に食えそうなものがないか、と探していたのだろうか。実際、油粕をまいた時などは、植木鉢のそばから離れようとしなかった。・・・当時はダイエットさせていたから。植木鉢の花や葉っぱの陰に潜んでいた蜂に刺されて、鼻がボコボコに腫れたこともあった。そういえば、よく虫を追いかけていたねぇ。

昨夜、ゴキブリを見つけて、「ひぇ〜!」と一瞬、腰が引けながらも、すかさずスリッパで叩いて始末しながら、「アルが見てなくてよかった・・・」と思った。アルはよく追い掛け回してオモチャにしていたので。うへ〜。




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