『怒涛の鯨のタタキ』
2008年10月の日記



あっという間に日々は過ぎる。
寝て起きて仕事して食べて寝て。
疲れをためないように・・・、
ただそれだけの日々・・・?

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2008/10/3(金)
月日は矢のごとく
「風邪引かないでね」

1998年4月13日の写真。大きなクッションを見つけて買った。1500円だった。バスタオルをしいて、アルのベッドにしたら、気に入ったようで、体をうずめて気持ち良さそうに昼寝。こんな姿が一番アルらしい。

アルが逝ってしまって4ヶ月近く経ってしまった。父が、「アルの骨壷を・・・」と言い出したので、私も思っていたことだったので、「そろそろアルの写真だけにしようか」ということになった。地震でアルの骨壷が落ちて割れるのもイヤなので、箱に入れて引き出しに入れ、線香立ても片付け、アルの写真だけをそれまでと同じ場所に置いた。アルだけがポツンとひとりいるように見える。アルの写真のそばに何かを置こうか。何がいいだろうか。何を置けば、納得できるのだろう。




   
2008/10/7(火)
犬や猫には罪は無いのに
「今日は誰の誕生日?」

1998年5月5日の写真。アルは3歳と半年。写真撮影には協力的なワンコだった。おかげで、アルの写真は山ほど。たくさんの思い出となって残っている。

「アルは去年の10月5日に急性すい炎を克服して退院した。そして、ちょうど8ヵ月後の6月5日に死んだんだよ」と、おととい父が言っていた。父は毎月5日になると、アルのことをしみじみ思い出すのだろう。私は、仕事が休みの水曜日には「明日はアルが死んだ日だ」と、木曜日を意識してしまう。

大阪の「アニマルレフュージ関西ARK」のサイトを見た。たくさんの犬や猫たちが新しい家族を待っている。新しい家族を見つけた犬猫たちの画像もたくさんあって、ホッとする。何かできることはないだろうか、と、愛知県動物保護管理センターのサイトも見た。犬たちを救うため、というよりは、自分自身が救われたいために。




   
2008/10/8(水)
解体+再編=変化⇒よくなろうとすること
「バ〜チャンと『だるまさんがころんだ』遊びしてるの」

1998年6月26日の写真。今から10年前、自宅を改装した。1階の70%を大改装した。アルの居場所だったリビングを半分強はビルトインの車庫に、残り半分を書斎にすることにし、お正月に使う程度だった和室を新しくリビングに改装することになった。

写真は、家具を取り払って解体を待つリビングで、母と遊んでいるアル。母にくっついてまとわりついていたアルが、「だるまさんがころんだっ!」と完全停止した様子。アルが「だるまさんがころんだ」の意味をわかっているわけがないのだが、人間の動きや表情をを観察し、上手に遊びにつきあっていた。かわいい後ろ姿。

次に解体される省庁は農水省といわれている。安全でおいしい米はどこででも売れる。どんなに高くても、安全でおいしい日本米はおとなりの中国では飛ぶように売れる。旧態依然の規則で生産者を縛り付け、消費者を無視する省庁はもういらない。




   
2008/10/13(月)
アルの夢
「呼んだ?」

1998年9月20日の写真。母に注目していたアル、「アル、写真撮るよ〜」の声に振り向いた瞬間・・・と思われる。ちょっとおもしろいので、この写真も私のお気に入りのひとつ。

今朝方、夢を見た。夢の中で、私はアルではないけれどアルによく似た犬を抱いていた。アルにオシッコをさせる時のようなポーズだった。ふと見ると、その犬は下痢をして、かなりの血が混じっていた。「アル? アンタはアルなの?」、と、夢の中の私は言っていた。

前日に、「すい臓が悪くなるってどういうことなの?」と聞かれたことが意識下に残っていたのかもしれない。アルの急性すい炎の時に、「下痢、それも血便だと非常に危険」と言われたことを思い出したからだ。




   
2008/10/15(水)
裏の畑でポチが鳴く
「お掃除すんだ?」

1998年10月10日の写真。父と姪っ子ふたりと一緒のアル。体育の日はやはり快晴。もうすぐ4歳のアルは実にかわいい。

今日は母も参加して不用品整理。食器の選別は母にまかせた。アル関係の品物も多いが、「これはまだ使えるでしょ〜。今度、ポチが使うんだから〜」と、アルが使ったハニカムクッションマットやオシッコ吸水サラサラマットや妹が作ってくれたアル用の布団、ピンク色の古毛布などはビニール袋に入れて保管。アルの食器もまだそのままだ。

「コーギーはもう飼わないぞ!」と父が言う。理由は「コーギーの抜け毛は多く、掃除が大変だから」である。父は掃除機担当なのである。「よーし、わかった! それじゃ、今度はポチだ!」と、ドサクサ紛れにまた犬を迎えるつもりであることを宣言。「アルが逝って4ヶ月があっという間に過ぎたんだから、これから1年もあっという間に過ぎちゃうよ。来年か再来年にはうちにポチがいるかもしれないよ、いてもいいでしょ。今度の子の名前はポチにしようっと! いいじゃん、いいじゃん、こうやって言ってるだけでも嬉しいんだからさっ」と、片付ける。頭の中で流れる歌は、♪裏の畑でポチが鳴く♪、なのである。

ポチの犬種は? さあて、コーギー以外の何か、だろうな。




   
2008/10/22(水)
仕事が休みの日のぼんやりとした過ごし方
「おらおらおらーーっ!」
「遊ぶんなら真剣に遊べーーーっ!」


これも1998年10月10日の写真。私と遊ぶ時は、こうして犯人逮捕ごっこ的なワイルドなアルになってしまう。ちょっと怖い・・・? 10年前の私は、腰痛もなくアルと遊んでいたようだな。

日記更新がすっかり週一の体たらく。怠け者の私は、のんびりと9時に起きて、食事と洗濯を済ませて、英会話クラスの予習にとりかかり、大急ぎで今日の分のプリントを読み、12時にインスタントラーメンをすすりこみ、「え? アンタの化粧ってそれだけ?」と母にびっくりされながら、2分で鏡の前を離れて、家を出た。3時15分に英会話の教室を出て、高岳⇒新栄⇒栄⇒矢場町となんとなく35分間歩いてしまい、松坂屋に到着。父の買い物に付き合う。40分で買い物終了。帰宅。夕食後テレビをながめていたら、何とかの母という占い師さんが出ていた。ゲストの手のひらに赤ペンで線を書いたり、顔のほくろを指摘していた。私も自分の手のひらを眺めてみる。生命線はどれだ? 結婚線はどれだ? 顔のほくろ? え、ここのほくろは男が寄ってくるって? ウソこけ〜! ほくろソバカス人間の私としては、ほくろ占いは大笑い。私の顔にはありとあらゆる運命と人生があるということになるんだな。




      
2008/10/29(水)
お出かけと留守番
大阪は大都市である。

・・・大阪の人にとっては当然のことだろうが、佐賀県生まれの名古屋人たる私はいちいち驚いた。まず、エスカレーターは右に並ぶのだ、大阪人は。名古屋人は左に並び、右側を急ぐ人のために空けとくのである。今日はそういうわけで、何度か大阪人の通行を邪魔してしまった。

まずは近鉄難波駅の出口が10以上もあるのに驚く。難波駅から心斎橋まで歩き、大丸で用事を済ませた。心斎橋から淀屋橋まで地下鉄で移動し、中之島のレトロな建築物を眺め(画像はご存知、大阪市中央公会堂である)、お昼を済ませ、北浜駅から地下鉄で大阪城に向かった。大阪城の石垣はでっかい! 城内の展示は「・・・名古屋城の方が愛想がいいのではないか?」と思ってみたり。大阪城から地下鉄で難波駅に戻って、5時間の大阪滞在が終了。万歩計は15700歩を表示していた。両親の要望に応じて、お好み焼きやたこ焼きの匂いもしないコースであった。

「アルはお留守番」

出かける時の口癖は、「アル、お留守番お願いね。行ってきま〜す」。帰宅時の口癖は、「アル、ただいま〜」。今日もまた、いつもの癖でこのフレーズが我々の口から自然に出る。

アルが動けなくなってからは、アルをひとりにして出かけることはほとんどなくなった。もともとアルをひとりで4時間以上留守番させることもほとんどなかった。最後の一年ほどは、容態の急変も考慮して、ひとりで留守番など怖くてさせられなかったものだ。

画像は、父の新作。アルの画像を見ながら描いていたようで、目や鼻や口元がアルにそっくり。この絵は玄関に飾った。今日はこのアルが留守番していてくれた。




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