『怒涛の鯨のタタキ』
2011年3月の犬バカ愛日記



3月11日、東日本大震災発生。
マグニチュード9の大地震は、大津波を引き起こした。

今、私に何ができるのか。

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2011/3/2(水)
プリティ〜
「伊豆大島のシロザクラ」

全国的に雨だった月曜日と火曜日に、父が伊東と伊豆大島に行った。

雨の中でも、濃いピンクの河津桜は満開で力強かったそうだ。「修善寺の梅園、普通だった」などとぜいたくなことを言っていたが、画像を見ると、苔むした古木の梅など、風格を感じさせた。

伊豆大島の椿の大木の並木(?)など、晴れていたらもっと美しく撮れていたかもしれない。

「今日もどこかへ?」

今日は、「『中馬(ちゅうま)のおひなさん』を見てくる」と父が出かけた。母は明和治療院と美容院。私は、今日は休みを取って、確定申告と銀行の用事を済ませることにした。

しばらく見なかった間に、リビングのデスクの引き出しの中が、父のおもちゃ箱と化していた。引き出しの中や書類等を整理してから、確定申告の書類作成。「ネーチャン、遊ぼう」、と、ボールをくわえてやってくるジェリーに、「馬のアキレスガム」を1本与えた。

「うっひょー! ガムだ! どこで食べようかな。リビングにしようかな、台所にしようかな、ネーチャンのベッドの上がいいかな」、と、しばらくうろうろしていたジェリー、どこかでじっくりと味わったようで、気づいた時には、リビングにおいたラウンドベッドで眠っていた。

ジェリー、かわいい。




   
2011/3/5(土)
突然に
「どしたの?」

「ひぇ〜、うそぉ〜」、変な声を出すと、ジェリーがほえながら走ってくる。

ダイナブックで日記更新の下書き(?)をしていたら、突然に画面が青くなった。そしてメッセージが。「なんかわからんけど致命的なエラーだよ」、と。危ない感じ? だから、ネット接続専用のエプソンのノートパソ、Windpws7の「忍者」のメモ帳とペイントで日記を打った。この「忍者」君も体が弱い感じなのだ。2回に一回は、「ネットに接続していません」と澄ました顔してサボろうとする。

仕事、質量ともに問題なくやってるつもりだが、金曜の午前中に、突然、「なんだかやめちゃいたい」と・・・。そう思いつつも、作業はぐんぐんスピードを増し、一見すると絶好調。目の疲れ、肩こり、そして寒さのせいで疲れたのだろう。やめよう、などと思わなくても、この仕事に必ず終わりは来るのだから、無理せずサボらず、淡々と働き続けることにしよう。




         
2011/3/6(日)
鹿を見なかった奈良
「薬師寺に行かなくちゃ」

創建以来1300年にして初めて、薬師寺の東塔が一般に公開された。3月21日まで。「趣味は、奈良と京都とジェリー」なのだから、今日、行ってきた。

「私も!」と母もついてきた。朝、8時15分頃ののぞみで京都へ、そこから近鉄京都線に乗り換えて、西ノ京へ。東塔の内陣を拝観し、西塔の11時からの公開にも間に合い、国宝の薬師三尊像にも会い、母も堪能した様子だった。

「ネーチャンは寒かったらしい」

西ノ京から大和西大寺に移動し、昼食後、バスで5分の秋篠寺に向かう。日本舞踊を生きがいにしている母には、ぜひここの伎芸天像に会ってもらいたかったのだ。秋篠寺から西大寺まで、「歴史の道」を20分歩く。西大寺は初めてだったが、十一面観音像に圧倒され、お寺の人たちは穏やかでやさしくて、菩提樹の葉っぱと花の話に感動。ほかほかの気分になって帰宅。

そういうわけで、今日のジェリーは父とふたりでお留守番。

午前と午後は、私のベッドでひとりで昼寝していたそうだ。ジェリーのお気に入りは、ふかふかの掛け布団の上。どうりで、そんな感じに、ベッドがへこんでいた。

それから3度ほど、玄関を開けてもらって、庭先をうろうろしたり、フェンスの前にぴたりと座って、「やつらはまだか?」と待っているかのようだった・・・とのこと。




      
2011/3/10(木)
早退の午後
「帰っちゃったよ」

今日は、所用のため昼で早退。帰宅したら、妹と姪っ子が来ていた。姪っ子にとっては、高校を卒業して入学式までのつかのまの休日。それなりに忙しくすごしているらしい。

久しぶりに妹や姪っ子と遠慮なしにしゃべった気がする。その間、ジェリーは、「ネーチャン、ネーチャン、だっこだっこ」とかわいくせがみ、テーブルの上のサンドイッチやアンパンなどを堂々と狙っていた。午後の時間は思ったよりゆったりと流れてほっとした。

本日、昼寝不足のジェリーは、7時半に就寝。今夜はリビングでいつもの『E・R』のDVDを見ることもなく、パヴァロッティのCDなど流しながら、日記の更新中。




     
2011/3/13(日)
東日本巨大地震
「アタシにできること?」

三陸沖は、親潮(寒流の千島海流)と黒潮(暖流の日本海流)がぶつかり合うところで、大量のプランクトンが発生するので多くの魚が集まり、世界有数の好漁場となっている。そして、三陸海岸は、青森県八戸から宮城県牡鹿半島に至る全長600km余の海岸で、その大部分が陸中海岸国立公園として、観光の中心地となっている。有名な北山崎の海食崖の断崖を中心とする北の宮古地区、南の大船渡地区は典型的なリアス式海岸で、その穏やかな入り江を利用してわかめや昆布の養殖が盛んである。とくに、大船渡産のものは最高級生わかめである。大船渡はまたあわびの名産地でもあり、吉浜のキッピンアワビは最高級品であり、江戸時代から中国へも輸出されていた。

かつての製鉄都市釜石は、今は海洋研究所などが作られ水産・物流の拠点となりつつあったし、仙台市はいわずと知れた東北地方唯一の政令指定都市で、人口100万を超える大都市である。ケヤキの並木が美しい伊達氏62万石の杜の都であり、東北三大祭の一つ七夕祭りであまりにも有名。

伊達氏といえば、日本三景の一つ松島、松島といえば国宝瑞巌寺。豪華な桃山式建築で伊達政宗が5年がかりで再建したもの。

陸中海岸国立公園のすぐ南に続くのは、南三陸金華山国定公園。リアス式海岸の牡鹿半島その先端の沖合いに日本で初めて金が産出された金華山があり、野生のサルや鹿が生息する。

東北は、歴史と自然美の宝庫。観光をこれからの日本の産業の主軸のひとつとして見るならば、どれだけ重要な場所であったことか。どれだけ日本の食を支えていることか。どれだけ関東の電力を支えてきたことか。明日から、私たちはいろいろな不便に直面する。表面的な「個人の自由とか権利」が単なるわがままに過ぎなかったことに気づく。生きることを数分間で無慈悲にももぎ取られてしまった人たちの姿が、地理や観光の本を書き換えてしまうような被害が、暖かい部屋のテレビに映っている。奥尻島や十勝沖や、神戸、鳥取や新潟、毎年のように起きる風水害被害の土地の情景が、記憶の引き出しから跳びだす。一気にまるで60年前の、何もかもがゼロだった時代の生活を余儀なくされる人たちがいる。その地方に依存していた他の地方の我々がこのままの生活を維持できるはずがない。物流網寸断、水産業など各種産業の被害、計画停電などなど事業活動への影響は拡大する。「便利さ」は単なる付加価値であって、必須のものではなかったのだと納得し、自分にできることをしたい。

    
2011/3/19(土)
一週間
「この道、知ってる?」

ジェリーの尻尾あたりの被毛に白っぽいアンダーコートが顔をのぞかせていた。つまむと、スポッとごっそりまとめてアンダーコートが抜ける。今日はジェリーのブラッシング。ファーミネーター、続いて櫛とブラシでブラッシング。最後に、お尻まわりにバリカンを当てた。抜けたアンダーコートがふわふわと風に舞い、くるくると地面近くで踊るのを気にしてジェリーが追いかける。「ジェリー、それはキミの分身だよ」、と声をかけると、「知ってるよ」てな顔をして戻ってくる。

今朝は、ゆっくりと朝寝して、コーヒーを何杯も飲みながら、ろくに読んでいなかった地震以来の新聞を読み直した。神戸の地震の時、政治は最悪であった。今回、当局はどうであるか・・・。効果的な政策が打ち出せていないのが現状だ。政治家の鈍感さ、恐るべし。しかし、神戸や新潟などの最悪の被災から人々は学んできた。今回の想定外の最悪の事態でも強さは消えない。最良や美徳は最悪から生まれるのに違いない。

私自身、じわじわと震災後の本当の混乱が押し寄せてきているのを感じながらも、正しい情報をかぎわけることで、悪い夢を見ているような無力感と疲労感を解消しようとしている。




      
2011/3/20(日)
三連休
「ぼた餅?」

すっかり忘れていたのだが、三連休、というよりは、春のお彼岸なのだ。今まで、お彼岸を感じていたのは、テレビのニュースなどで墓参りやお寺の法要の様子が映っていたからか、あるいはスーパーにぼた餅やお彼岸のお菓子が並んでいたからに過ぎなかったのだろう。我が家には仏壇がないのだから。

三連休の中日、ジェリーの朝ごはんを計量してからまた寝直した。怠惰な日曜日。ジェリーが部屋の外の廊下で、私を待ちながら眠ってしまった様子。足元で何かが落ちてくるのを狙っているジェリーをお供に、冷凍庫の作り置きのドライフルーツとクリームチーズのサンドイッチを遅い朝食にしながら、新聞を読み終えた。福岡のケアハウスにいる伯母は、「そんなことになってるの?」と、今日の母との電話で驚いていたそうだ。部屋にテレビがあっても興味がなく、したがって、東日本大震災のことを知らなかったのだ。伯母の世界には、伯母ひとりしかいないのかもしれない。




      
2011/3/21(月)
思い出
「犬中心?」

思い出といえばアルバムであるが、アルバムを見返すことなどほとんどない。アルバムを楽しく見ることができるようにと、同じようなポーズの写真を切り抜いたりして変化をつけ、できるだけアルバムの冊数を減らしたことがある。古いアルバムは、写真が糊付けされていて、台紙が劣化し、歴史を感じさせる。

私が犬と暮らした経験は、アルとの13年間、そしてジェリー。保育園の頃、ほんの半月かひと月、迷い犬が飼い主の元に戻るまで暮らしたことがある。私が犬と写った一番古い写真を探してみた。

画像は穏やかな表情のジェリー。なんとやさしげな、頭のよさそうな表情であることか。うれしい。

「ポチといっしょ」

これは私が1歳半の、とある6月の写真。写っているのは母に抱っこされた私、母の兄に抱っこされたポチ、祖母と当時15歳くらいの母の一番下の弟。

ポチは、飼い主が死んでしまって、居場所をなくしたところを、母の姉が引き取ってきた。そして、近所の人が「顔が黒い犬は不幸を持ってやってくる」とでたらめな事を言うのを、祖母が「そんなことはないっ!」と世話をし、子供がいなかった母の兄がとてもかわいがったのだそうだ。幸せな顔のポチ、私の「犬中心主義」の原点。

この写真は、祖父が60歳を過ぎてスタートさせた工場の新築現場である。50年前の、まだ国が貧しかった時代だが、勇気と希望が写っていると思う。




      
2011/3/26(土)
探したよ
「ちょっと冒険」

夕食前、ジェリーがいなかった。「ジェリー?」、「さっきまで台所にいたのに」、「リビング?いない」、「私のベッド?いない」、「洗面所?」。フェンスはロックしているから大丈夫だけど・・・、まさかと思って玄関ドアを開けると、ジェリーがそこにいた。「呼んだ? ご飯?」てな顔をして。父がドアを開けて、そこに干しておいたブラシを取って、ドアを閉めた。その瞬間、ジェリーは父の足元をすり抜け、庭先を冒険したのだ。少しは不安だったのか、それとも、「きっと気づいてくれるから」とのんびりしていたのだろうか。

福島と聞くたびに、たけちゃんを思う。たるちゃんの顔しか知らない。みんなを背負って引き受けて・・・元気でいてくれるといい。




      
2011/3/27(日)
リラックスのために
「遊びとオヤツ」

「うわっ、しこりになってる」と明和治療院の先生が言う。生きてる人でストレスのない人なんていないから、と、気にしないけれど、治療は痛かった。それはそれでストレス。

「買いだめはしないけれど、買い置きは必要、特に酒」と父が言う。スーパーの酒売り場で、『古陶里(ことり)』という麦焼酎を見つけた。名前から想像したとおりに、有田焼と吉野ヶ里の佐賀県産だった。リラックスには適度な酒が効果的らしい。私は飲むとしても月に一度だが、確かに体がほぐれる気がする。酒と風呂、被災地の人たちにこそ必要な処方箋。

ジェリーと久しぶりにボール遊び。何度も廊下を走り回ったジェリーは、「オヤツくれ」とも言わずに、ぐっすりと昼寝。やっぱりジェリーの一番の好物は、ボール遊び。ドライフルーツに砂糖と甘いデザートワインを小さじ1杯ずつふりかけ、電子レンジで20秒。やはり電子レンジで20秒温めたクリームチーズと練り混ぜて、薄切りの食パンに塗って、ドライフルーツのクリームチーズサンドを作る。クリームチーズがついた容器を、「ワインがわずかでも混ざってるから危険かな」と思ったが、たぶん大丈夫だろう、と、ジェリーになめさせた。ジェリー、酔う様子もなく、吐くこともなく、その後、夕食を済ませて無事にハウスでネンネ。




      
2011/3/28(月)
目が覚めたら
「お日様にあいさつ」

ジェリー、絶好調。朝から、垂直とびのあいさつである。明日からは、朝の時間にもう少し余裕を作って、朝5分間のボール遊びをしよう。

朝、目が覚めると、「生きていたんだ」と思う。眠っているうちに地震でつぶされることも、大水に襲われることもなかったのだ、と。そして、ラジオをつける。福島の原発はどうだろうか、最悪の事態を迎えているのではないだろうか、と。仕事が終わって、ビルの外に出ると、まず、あたりの様子に変化はないかと見回す。帰宅するとほっとする。無事だったのだ、と。

こういう私は、「うわついている」、「過剰反応だ」、「度胸がない」などと言われるのかもしれない。9・11の時以来感じていた、生きている感じが少し薄れたようなふわふわとした不思議な感覚の実態はこれかもしれない。つまり、私は自分の力で生きているわけではない、生かされているんだという感覚。

しかし、そんな理屈や、頭の中の出来事にとらわれることなく、目の前のことをコツコツとこなしていくべきだ・・・と思いながら、今日はできるだけ(?)誠実に仕事をしてみた。




      
2011/3/29(火)
手と手
「やぁやぁよろしく!」

これは半月前の画像。帰ろうとする妹たちに、ジェリーがジャンプしてあいさつしているところ。ちょうど、握手しているように見えるのがおもしろい。

選挙活動中の握手作戦にも見えるのがちょっといやらしい・・・。通勤途上、名古屋市の選挙ポスター掲示板の前を通る。近々、愛知県議選があるようだ。自粛気味の展開になるのだろうか。

こんな風に手と手をつなぎ、できることをしようという動きがどんどん広がっている。ツイッターを利用したボランティアの働きを見ると、この技術やサービスは、時々刻々変化する被災地の事情をつかむのに、他の何よりも有効なものになる可能性がある。過去の災害を教訓に、人々は人の声を聞き、人に向かい合う。マイペースでいるようでいて、人と手をつなぐのをいとわない。前例や過去にとらわれず、自分にできることに軽くジャンプする。

何かが変わっていく実感。なんとかできるんじゃないだろうか。あの頑固で無能な○○○をも変えることができるんじゃないだろうか。




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