『怒涛の鯨のタタキ』
2013年4月の犬バカ愛日記みゃんこ日記


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2013/4/6(土)・・・曇のち雨
課題


ジェリーの日記、
手帳、メモ帳、
切れっぱし・・・。

悪性リンパ腫に、
突然、なるわけなかろう。
何かあるはず、見つかるはず。

少し、立ち止まろう。
少し、戻ろう。
前に進むために。





        
2013/4/12(金)・・・晴
つれづれなるままに、ポメラ

ポメラ、私のおもちゃ。

単純で頑丈な小型のワープロ。

徒然なるままに、
心に浮かぶあれこれを
カチャカチャと打ち込むと
思いはただ渦巻き、
何も解放されない。

それでも、忘れないうちに、
空を見ていたジェリーのことを
書き残しておこう。




            
2013/4/22(月)・・・晴
宝物見つけた





ジェリーがいた。

赤ちゃんジェリー。

4年前の2月。
生後1ヵ月半。





生後3ヶ月。

ほら、ジェリーだ。

もうすっかりジェリーの顔だ。
楽しくてたまらないね。



生後3ヶ月半。

かわいいね。

元気だね。

幸せそうだね。

ジェリーがどこかに迷子になっていないか、
ジェリーの気配がどこかに残っていないか、と、
ジェリーを探してさまよっていたら、
4月になって、赤ちゃんジェリーを見つけた。

浜松のクランバーアップケネルというところで、
兄弟たちと一緒に社会勉強していたらしい。
D.D(ダンディの娘)と呼ばれていたジェリーは、
兄弟やジャックラッセルテリアのパピーたちと育っていたのだ。

クランバーアップの露木氏によると、
「毬のようにはずみ、遊び、元気いっぱい」だったそうだ。
「きっと天国でも、毬のようにはつらつとしているだろうな」と言ってくださった。

私の知らない頃のジェリーの画像の使用許可をいただき、
こうして掲載することができてうれしい。

幸せなジェリーの、元気ではつらつとした姿が、
見る人すべての心に残りますように。




        
2013/4/30(火)・・・雨のち曇
うちの子たちは、小さくてかわいい

ジェリーとアル、
ふんわり身軽だ。


薄いピンクのラッピングに、丸い名札とお花。
アルは薄い黄色のバラ、ジェリーはピンクのバラ。
頼んだわけではないのに、偶然にもイメージどおりの色だった。

アルは2008年6月6日に火葬して以来、骨壷に納めたままだった。
私には、「骨」という姿は暗く痛々しいものに感じられた。
骨壷の中で、カラカラと音がするのも、「モノ」のようで気になっていた。

アルの立派だった遺骨(remains)を覚えていただけに、
ジェリーの時は衝撃的だった。
骨は細くもろく、太く硬いはずの部分でさえ砕け散っていた。

抗がん治療とはこういうことなのか?
骨まで痛めつけることなのか?
なんてひどいことをしてしまったか、と、見た瞬間、感じた。

同時に、ジェリーは楽になったのだとホッとした。
アルの時にもそう感じたように。
そして、ジェリーがもっと楽になる供養の仕方を探した。
もっと身軽に、もっと明るく、天高く舞い上がることのできる姿。

そして、「粉骨」サービスを利用して、ふたりは軽いパウダーになって戻ってきた。

アルの時は、楽しく支えた3年半の闘病生活のおかげか、
アルは、数日後にはすんなりと温かい思い出になってくれたのだが、
ジェリーの場合、私はなかなか自分の思いから抜け出せず、悲しかった。
悲しいのは当然だが、自分に囚われ深く重く沈んではいけない。

ジェリーはとっくにお空に帰って行ったのだ。
ジェリーを自由なお空に帰したのだ。
ジェリーは、今、私がジェリーに望んでいた通りの生活をしている。
走って、走って、走って、楽しく遊んでいる。

ほら、もう悲しくない。
それに、必ずまた会えるのがわかっているから、その時が楽しみだ。
胸張って会えるように、ジェリーが教えてくれたことを無駄にはするまい。





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