『怒涛の鯨のタタキ』
2013年9月の犬バカ愛日記みゃんこ日記


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2013/9/6(金)
今まで直視できなかったこと・・・叫び
空を見てるの?


あと半月ほどで、ジェリーが逝って半年になる。

2013年3月19日、きっかり正午に、ジェリーは逝った。

その瞬間、ジェリーは驚くほど大きな声、それも金属音のような叫びをあげたそうだ。
ヒャーン! あるいは、キャーン!
聞いたこともない、生き物の声とは思えないほどの声。
死と同時、いや、死んだ直後だったようにも聞こえた、と。

その声は、おそらく父の心に深く突き刺さったままだ。

ちょうど二階にいた母は、「おとうさん!ジェリーが苦しんでる!!」と駆け下りてきたらしい。
その叫びを、「苦しみの声」と母は聞いたのだ。

そんな様子を聞いた時、私の頭に浮かんだのは、「断末魔の叫び」という言葉だった。
断末魔、その言葉の恐ろしさに、ジェリーは苦しんだのか、と、繰り返し後悔し続けることになる。

各種辞書やWEBで、断末魔を調べてみた。

「梵marmanの音写。身体内にある特殊な急所で、何かがこれに触れると死ぬという息を引き取るまぎわ。臨終。」

「永眠するまでの瞬間の状態を指す。また、苦しみながら息を引き取る瞬間を表すことも多い。
『断末魔の叫び』とは、上記の「断末魔」に由来する慣用句である。」

「断末魔の時に上げる声のこと。
死ぬ間際に、痛みや苦しみなどから大声を上げる、というのは人間の本能であり、
また生に執着することも人間の本能であるため、
断末魔の叫びはこれから死ぬという恐怖、生が終わってしまうという後悔など、様々な感情の集約したものであるともいわれる。

「断末魔」とは状態を表す言葉で、その意味は人間が死ぬ直前の状態のことなのです。
息を引き取る瞬間そのものが「断末魔」であり、
「断末魔の叫び」となると、その時に上げる声のことを表すのです。」



断末魔とは、どうやら、仏教的な言葉で、
悪魔とか鬼のような存在ではなく、人間が死ぬ直前の「状態」であり、
末魔というツボがあって、そこが切断されると、死ぬ、ということだ。

「断末魔の叫び、その叫びは、痛みや苦しみなどからあげるものだけでなく、生に執着することからも生まれる」、という仏教的な解釈が一般的なように思う。
その解釈を聞くと、死の恐怖や人生の後悔や、痛みの声を上げずに静かに死んでいくのが立派なのだ、という思いが生まれる。

私が知りたいのは、仏教的な解釈ではない。
その声をあげる時、その人は(生き物は)痛いのか、苦しいのか、ということを知りたいのだ。
もちろん、叫ぶのは、苦痛、悲嘆にさいなまれる時だと想像できる。
命が切り離される瞬間は、多大な苦痛があるのかもしれない。
実際、そんな瞬間があるからこそ、昔の人々が「断末魔」、「断末魔の叫び」という表現を作ったのだろう。
天才的洞察力観察力の人が、実際にそんな体験をしたのかもしれないし、体験者(?)の話を聞いたのかもしれない。


ジェリーは、その瞬間、意識があって叫んだのだろうか。
命が切り離される瞬間、意識があったのだろうか。
思考力は残っていただろうか。

最期は苦しませたくなかった。

直前まで、ジェリーはゆったりと呼吸をして、気持ちよさそうに眠っているように見えた、という。
ジェリーが死ぬとは思わなかったほどに気持ちよさそうだった、と。
黒タール状便を一度、それから少し伸びをするようにして、もう一度黒タール状便。
その直後の叫び声と、同時に訪れた最期。

声は気持ちをあらわすもの。
声を持つものは、何かを伝えることができる。
声を持つものは、意識ある人格ある存在。
最後に何を表現したかったのか。

その叫び声がなければ、ジェリーは苦しまずに逝ったのだ、と自分を慰めることもできた。
仕方なかったのだとあきらめることもできたかもしれない。
ジェリーは、肉体とサヨナラしたのだから、もう苦しんではいない、と、納得できただろう。

私は、ジェリーを苦しませたのだと後悔し、辛いだけなのだ。
大きな過ちをいくつも重ねたと思い、苦しいだけなのだ。
ジェリーの死を悲しんでいるわけではなく、自分の思いにとらわれているだけだ。

ジェリーが最後に感じたのは、多大な苦痛だったのだろうか。
そうだとしたら、私が苦しめたのだ。



永遠に眠るジェリーの枕もとで過ごした夜、何度かジェリーの息遣いを聞いた気がした。
ジェリーの寝息をいつも聞いていたから、耳について離れないのだ、と思った。

ジェリーを荼毘に付し、霊園から帰り、書斎に入るとまたジェリーの息遣いが聞こえた。
書斎はジェリーの寝床があった場所だ。
まだ耳について離れないのか、私の呼吸音か、と思った。

突然、その息遣いが耳元で大きく聞こえた。
思わず息を止めた。私の呼吸音ではない。
気のせいじゃない! 本当に聞こえる! 
ジェリー?、と、振り返ると、もう一度息遣いが聞こえて、消えた。

その時を最後に、ジェリーの息遣いはもう聞こえない。






        
2013/9/8(日)
今日も汗だく
広々っていいよね。
夜中、何かが天井裏に上がってきた音がした。
イタチか?
この時期、イタチは活動するのか?

ジェリーがいたら、階段下の匂いをかいで確認してくれるだろうに、
・・・と思いながら、ま、いいか、とそのまま眠ってしまった。

朝、オリンピック2020、東京決定を知り、
いい気分で朝食をとりながら、7年という時間について考えた。

7年・・・、ジェリーはまだ生きているはずだったのになぁ、
7年・・・、音読と読解中心で、英語をやり直そうか、
7年・・・、7歳の犬って落ち着いてていいよなぁ、
7年・・・、あっという間だろうな。

午前中に、次の粗大ゴミに出す予定の4点をまとめて、汗だく。
午後には、次の週末の片付けのためのイメージトレーニング(?)および準備。

昨夜、志村園長と旅する雑種ワンコを見た母が、言っていた。
「ジェリーみたいにかわいい目してる。犬はかわいいよねぇ」、と。

こういう状態を、「我が家の犬指数」が上昇してきた、というのではないか?

いつ何があってもいいように、
目指せ、広々空間。




        
2013/9/11(水)
お気楽な日々
これだけ?


化粧水、ハンドクリーム(顔にも使用)、日焼け止め、粉。
あと、色つきリップクリーム、これで私の化粧品(?)のすべて。

30年ほど前、パソコンは高価だった。
維持費や買い替え費用のため、
化粧品代を削ることにした。
削るというか、ゼロにした。

何を塗ったって、日焼けすればシミになるし、
ニベアとリップクリームでじゅうぶんさっ!

化粧なし、化粧水も洗顔料もなし、
時にはニベアもなしのスパルタズボラ生活を2年間、
日焼けでてきていた大きなシミのことなどすっかり忘れていて、
気づいたら、シミは消えていた。

面接や冠婚葬祭で必要に迫られ口紅は買う。
用事が終われば処分する。

いいトシの女が化粧なしのスッピンで人前に出るなんて横着な!
と、わかってはいるけど、やめられない。
メガネをかけて見ると、あちこちにシミやしわやたるみが。
メガネかけなきゃ、自分のシミさえ見えないし。
人の顔をまじまじ見る人なんてそうはいないし。
人のシミが気になる人は、自分のシミを気にしている人だし。

なにより、このトシになると、存在はほぼ透明人間。
ああ、気楽。トシ取って良かった。

ここ数日、顔がちょっと乾燥する。
ひび割れて、粉がふく前に、ハンドクリームを塗っておこう。




        
2013/9/16(月)
準備を楽しむ
9年前か、8年前か、7年前


コーギークレイジー先輩(ウォータン君のおとうさん)が、次の犬を決めた。

私も、私も!と、計画前倒ししようかと思ったが、
現状は厳しく、無理な気がして、
ケビンマンマさんにも相談してみた。
「ひとりで犬を飼うのは全然大変じゃないよ」、って。
「とってもかわいいよ」、って。
「でも、もう少し後がいいかな」、って。

うん、私もそう思う。
やっぱり、私にとっては、「犬を飼うなら今でしょ!」の今は、もう少しあとだろう。

この画像の頃からは、この書斎のものはずいぶん減った。
本は半分以下に、家具はもっと減った。
しかし、部屋はここだけはない。
そして、部屋だけでなく、車庫も外回りももっとスッキリさせたい。

もっと掃除しやすい家にして、それからジェリーの実家に電話する。
「タロー君かハナコちゃんはいますか?」、と。

500円玉貯金箱30万円用を準備しよう。
それが満杯になる頃には、すべての準備が整う。

準備を楽しもう。
きっと、その時はあっという間にやってくる。




        
2013/9/19(木)
今日もいい天気
「遊んでるよ」


昔、主婦の友人が言っていた。
「家族が起きてくる前の2時間が自分の時間なの」、と。

朝日が昇るのを見ながら、コーヒーを飲む。
そして、好きな本を読む。
そんなことが、とてもシアワセなのだ、と。

5時5分(5時ジャストより、がんばらない感じが好き。)に起きて、
体重測定(ゲゲ!)、水を飲む、ストレッチする。
それから今朝は、引き出しをひとつ片付けた。

家族の物音がし始めるが、もうしばらくは私の時間。
声を出さずに、静かに、好きなように過ごそう。

今日は、3月19日からちょうど半年目の19日だ。

今夜は中秋の名月で満月、
オレンジ色の満月が、
屋根の上あたりに、とても大きく見えた。
20分後には、白っぽい普通のサイズの満月になっていた。

おお〜い、ジェリーよ。
ボール遊びしてるかい?

おお〜い、アルよ。
おだんご、食べてるかい?




        
2013/9/23(月)秋分の日
趣味がない
「片付け、でしょ?」


趣味? 片付けが趣味でしょ?

ま、確かに、趣味に近い。

で、これは毛糸の山である。
妹の、かつての趣味の名残である。

「もう、編み物趣味、やめた」、と言っていた。
捨てるのはかわいそう、とのことなので、
よ〜し、ネーチャンが編んだるっ!・・・と言ってみた。

「マフラー何本分?」


スヌードでも編もうかな、と、思った。
編み物は、何度かしたことがある。
・・・が、二目ゴム編み止め、に、苦戦した苦い思い出がある。

この大量の毛糸を消費するには、衣類ではなくベッドカバーがいいかも。

とりあえず、絡まった毛糸をほぐしたりして、
種類別・色別に整理した。

「辛抱強い」


「辛抱強いねぇ」と、母に半ばあきれられながらも、地道に4時間。
2時までに終了したら、ホームセンターにビニールシートを買いに行く予定だったが、
予想以上に絡まっていて、終了が2時半。

手付かずのままの新品もかなりあった。

ケースに収めてしまったら、編む気が失せていた。

私に編み物なんて、絶対に無理だ。
もらってくれる人を探そう。
それまでこれ、どうしよう・・・。

「寝かせといたら?」


ジェリーが、私の膝にすっぽり埋まっている画像。

ウール100%、ジェリー。

趣味はないが、あせって探すつもりはない。
たいして生きがいもないが、探して見つかるものでもないだろう。

明日も仕事に行けるように、
無茶しないで地味に過ごそう。

つまらなさそうな、こんな日々が、
多分、今の私にはふさわしい。




        
2013/9/29(日)
どんな部屋が好き?
ひどすぎる・・・


ジェリーもあきれる、超ワイルドな状態。
まるで倉庫だ。

♪ジョニーに伝えて♪とにかく捨てろよ〜♪

これは去年の5月、キャスター付きの椅子の脚が壊れた頃。
とりあえず、バランスボールを椅子の代わりに使っている。

「片付け」とは、もっているものを全部収納することだと思っていた。
しょっちゅう、「片付け」ていたが、片付くはずもなく、
あっちこっち動かしているうちに、いっそうひどい状態になった。

われながら、こりゃぁひどいや、と思ったのだろう、
「ここが最悪」、と、スタート地点を撮影した。多分。

椅子を買った。


断捨離、ときめきの魔法、カレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば」、
そして、安東英子さんの幸せの扉。

安東方式を基本とし、ときめき魔法も参考にし、カレンと断捨離の境地に近づく。
4者とも目指すところは、「今の私の幸せ」だ。

6月1日、ようやく、椅子を購入した。
なんと、椅子が壊れて1年以上だ。

これからどうしたいのかが、まだ決まらず、
とりあえず、うちにいくつもある収納ケースとラックを利用して収納。

やっぱりまだ倉庫だ。
♪ジョニーに伝えて♪倉庫は嫌いよ〜♪

ボビーワゴン。


やっぱりデスクがいるんじゃないかな、とか、
デスクを買うと、キャビネットもいるのかな、とか、
いかにもデスク、って家具はもうイヤかも、とか、
ちょっと待てよ、デスクは去年処分したのにまた買うつもりか、とか、
家具が増えると、もしも犬が来た場合のケージはどこに置くんだ?、とか、
あれやこれやモンモンと思い悩んだり、
ヤフオクをながめて、目と頭と肩がバリバリに固まったり。

そして土曜日、ボビーワゴン、到着。

ジェリーが窓から外を見る時用の台だったカラーボックス、
引き出しとキャスターをつけてリメイクし、再利用。

別の場所で目隠しに利用していたピンクのシートを利用、
ピンクと白で恥ずかしいくらいにカワイイこと。

とりあえずこんな程度だが、ようやく倉庫を脱して、部屋になった感じ。

♪ジョニーに伝えて♪次に進もうよ〜♪
(『あまちゃん』、終わっちゃったなぁ・・・。)




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