2020/05/05(火) | |
100年前のスペイン風邪に学ぶ。 | |
約100年前、1918年から1920年にかけて日本でもスペイン風邪が流行した。 もちろんスペインが発祥の地ではない。 イギリス説、アメリカ説、中国説、がある。 当時、スペインでは情報統制されていなくて、 この流行性感冒が大いに報道されたので、こう呼ばれるようになっただけだ。 スペイン風邪は、A型インフルエンザと言われている。 当時の日本では、「流行性感冒」、「流行り風邪」と呼んでいたようだ。 その頃の、マスクとうがいを薦めるポスターが話題だ。 黒マスクは、足袋の素材の黒繻子(くろしゅす)で作っていたようだ。 それが白マスクになり、今に至る。 当時の写真も残っていて、確かにみんな黒マスクをしている。 和服の女性に手を引かれた子どもは白マスクだった。 日本人には、この時以来、マスクの習慣が根付いたようだ。 外国ではいったん廃れてしまったが、 これからはもうマスク生活が廃れることはあるまい。 アフターコロナの社会では、マスクが標準装備となろう。 1920年の日本の人口が、5600万人弱。 日本におけるスペイン風邪の調査では、 3年間で患者は2380万人、死者38万人。 人口の半数以上が感染し、集団免疫がついて、 3年かかって収束した。 そして、A型インフルエンザは今も毎年流行している。 100年前のスペイン風邪は第三波まで起き、 第2波は世界中で同時に起こり、病原性が強まり重篤な合併症を起こし死者が急増。 第3波も世界で流行、最初に医療関係者の感染が多く、医療体制が崩壊した。 上記の表を見ると、日本でも同様だ。 第一波は患者数が多く、死者は少なく、 第二波は患者は少なく(第一波の11%))、死者は多く(第一波の50%)、 第三波は患者は少なく(第一波の1%)、死者も少なかった(第一波の1%)。、 当時、40代までの若い男性が多く死んだというが、 当時の平均寿命は45歳前後で、 現代のように、高齢者や基礎疾患保有者がいなかった、 あるいは、非常に少なかった時代。 当時、全世代にスペイン風邪は襲い掛かった。 今も当然同じだが、61歳以上と基礎疾患保有者は特に危険。 本日、5月5日午前の武漢肺炎患者数。 患者数350万人超え、死者25万人超え。 症状ないのに検査をしたがる、させたがる向きの意図が、私にはいまだにわからない。 人口の半数が罹患してようやく収束するのだから、 これから必ず第2波、第3波がくるのだから、 そして、休めない医療関係者は疲弊していくのだから、 これから1年か2年の間どうなるか、 どうすべきかくらい想像できそうなものだ。 自分も必ずかかるのだ、かかっているかもしれない、と、 覚悟して生活するしかないじゃないか。 経済活動、停滞するに決まってるじゃないか。 だって、人がゴロゴロ死ぬんだぞ。 生かされていた命が刈り取られていくんだぞ。 朝、目が覚めたことに感謝して静かにしているしかないじゃないか。 今までの生活様式が感染症に対して脆弱だったと反省して、 丁寧に暮らしていくしかないじゃないか。 河野防衛大臣のマスク、海と太陽の手拭の手作りでいいじゃないか。 せめて手作りマスクでがんばるぞの意思を示して何が悪い。 きれいな柄の手拭、欲しいぞ。 |
2020/05/29(金) | |
さわやかな五月は残酷だった。 | |
5月末、武漢肺炎感染者は、580万人を超え、 死者は36万人を超えた。 中でもアメリカの死者数は10万人を超えた。 ベトナム戦争におけるアメリカの戦死者が58220人、 朝鮮戦争でのアメリカの戦死者が36574人、 比較するとどれだけ多いかがわかる。 これは戦争だ。 テレビでACジャパンの広告が流れる。 企業がコマーシャルの出稿を控えているからだ。 そのうちのひとつに、「いろんな会」バージョンがある。 「いろんな会が中止になった。 でも、 みんなが元気でいればまた会える。」 これを見るたび、いや違う、と思う。 もう会えないかもしれない。 もう会えない、と覚悟して生きなければならない、と思う。 アル、ジェリー、万太郎、我が家の犬たちはずっと同じ動物病院にお世話になってきた。 散歩のついでに行ける徒歩10分ちょっとのところだ。 4月末には、万太郎の狂犬病の注射とフィラリアの薬11月分までをもらい、 次は5月下旬のワクチン接種でお世話になる予定だった。 5月19日、いつものように、ワクチン接種案内ハガキが動物病院から届いた。 その日、夕方散歩で病院の前を通り、閉まっていたので妙な感じがしていたが、 ハガキが来たので、たまたま閉まっていただけだと安心したのだった。 「5月25日頃の接種をお勧めします」の案内の横に、小さなシール。 「都合により閉院いたしました。他院での接種をお願いします。」 万太郎との散歩でほぼ毎日、近くを通っていた。 その前の週、15日前後まではいつも通りに見えたのに。 先生に何かあったのだろうか。 明日はいよいよ別の病院でワクチンを受けさせねばなるまい、 我が家の犬たちが20年以上お世話になった横井先生が、虹の橋を渡っていかれたとは。 私より5歳も若い先生が。 今日もいつものように、その動物病院の近くを通った。 万太郎は、そばまで来るといつものようにピーピー鳴いた。 残酷な令和。 さわやかで残酷な5月。 |
2020/05/31(日) | |
日曜日はたいてい雨 | |
昼前から雨。 庭に出たら雨なので、「え?雨なの?」とがっかりした様子の万太郎。 そんな万太郎を、「こっちにおいで、そこに座って、そうそう、」と撮影。 万太郎、わかってるねぇ。 どうやら令和になってからというもの、 日曜日になると雨が降る、そんなイメージがついてしまった。 出かけるな、家でじっとしていなさい、との天の声じゃないか。 そう、出かけないほうがいい。 日曜日は体を休める日だ。 昔々の小学生時代を思い起こせば、 休みの日にお出かけ、なんてことは皆無だった。 日曜日は家族みんな家にいる日、だった。 ステイホームな日々は特別ではなく、当たり前。 全然苦にならない。 うちの万太郎だってそうだ。 雨の日は、おとなしく寝ている。 お出かけしようと車に乗せようとしても、断固拒否する。 なんと我が家にふさわしいワンコであることか。 昨日、そんな万太郎を車に乗せて、車で5分ほど動物病院に行った。 車に乗ること、新しい病院に入ることは非常に嫌がったが、 万太郎はいったん中に入ると実におとなしかった。 むしろ、興味津々といった具合で、3メートル先の黒柴さんを見つめる。 診察室でもおとなしく、ワクチン接種とマイクロチップ挿入を受けた。 マイクロチップ挿入のための局所麻酔注射の時は、 痛いのか違和感があったのか、ちょっと気にする様子だったが、 「おとなしいですね、」「賢いですね、」と言ってもらういい子振り。 体重、20キロジャスト。 表面体温:37.7度。 小さな愛玩犬たちに動じることなく、ちょっとオトナになった万太郎だった。 |
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